『小確幸』探求の日々

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毎日なんかいいこと見つけよう!大好きな「押尾コータロー」さんの話題を中心に・・・ほとんど休眠中の気まぐれブログです。悪しからず。

シュプレヒコール!!!

シュプレヒコール!!!

行って参りました~!
KOKAMI@network vol.10
僕たちの好きだった革命@サンケイホールブリーゼ

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シュプレヒコール!!!

企画・原作・脚本・演出の鴻上尚史さんは、やっぱりすご~い!好き~!


シュプレヒコール!!!

主演の中村雅俊さんはじめ、片瀬那奈さん、塩谷瞬さん、ラッパー役のGAKU-MCさん、
そしてそして大高洋夫さん、他全19名の出演者、すばらしかった!



詳しくは、オフィシャルサイトを見ていただくとして(→ こちら

2009年、母校の拓明高校に国語教師として赴任してきた日比野(塩谷瞬)、
1969年、学生運動が激しさを増す中、機動隊の催涙弾を受けて意識を失った山崎(中村雅俊)、
そして1999年、30年の長い眠りから覚めた山崎が、失った30年を取り戻したいと
高2の日比野たちのクラスに復学してくる。
そこには、かつて共に全共闘運動に参加していた文香の娘の未来(片瀬那奈)がいて
リーダーだった兵藤(大高洋夫)は教頭になっていた。
いかにも現代(1999年)の高校生らしく、学校がダメと言えばすぐにあきらめてしまうクラスメートを見て
山崎は自分達の文化祭を取り戻すべく立ち上がる・・・

めまぐるい舞台転換が、暗転ではなく白いカーテンを左右に引く間に行われたり
多い人では1人5役という舞台ならではの苦労を観客にぶっちゃけたり
シーンの途中で、「はい!今から15分間の休憩に入りま~す」と現実に戻されたかと思えば
第2部の始まりは、ぞろぞろと俳優さんたちがステージに戻ってきて「じゃ、始めます。」
(まるで稽古のよう)
それが、次の瞬間、役に戻っているという、その一瞬を観客に見せたり。
う~~~~~~ん、このやり方はすごい!すごかった!さすが鴻上さん。

テーマはドラマティックだけれど、ちゃんとコメディの要素もちりばめられていて
30年間眠っていた山崎と、クラスメートの会話なんて
   「ムカつくんだよ!」
   「・・・・・胃でも悪いのか?」
   「超ムカつくんだよ!」
   「・・・・・腸なのか?」
そしてこれが2度目に繰り返された時には、山崎がポケットから薬を取り出し・・・・
もちろん、それは「大正漢方胃腸薬」だったり(笑)

文化祭に「加藤鷹」を呼びたいと言い続ける高3の男子に対して、
学校側は「ガダルカナルタカ」なら呼んでやると言うのだけど
「ガダルカナルタカじゃダメなんだよ~、全然違うんだよ~」
・・・・・あの・・・・全然わからなかったのですが・・・・帰って調べたら加藤鷹さんて・・・・
有名なAV男優さんなのですね(笑) なるほど(^^; 
チョコボール向井さんの名前はわかったんだけど(苦笑)
(この加藤鷹さんご本人が、東京公演で、実際にトークショーに出演されてたりなんかして)

“タイトキック”というラッパー役のGAKU-MCさんが実際にステージで歌ったり
中村さんもギター片手に弾き語ったり、音楽の力、というか可能性を感じる舞台でもあったなぁ。
世界を変えることはできなくても、「お前のやってることは無駄なんだ!」と言われても
たとえ見かけは元の生活に戻ってしまったとしても、心には何かが残っている。
そうやって誰かの生きざまに影響を与える出来事というのは、決して無駄なんかではない。

1999年という時代では、1969年とは違って山崎に賛同して革命を起こそうとする高校生達は
結局のところ5人。
そこに、学生運動を経験した親たちの痛み、同時にその時代を生きてきた誇りのようなものも
掘り起こされていく。
結局、山崎は30年後にまた、学校側が要請した機動隊の突入により命を落としてしまい
すべては山崎のせいにされて、高校生達は、何もなかったかのように以前の生活に戻っていく。
それでも、その心にはその時の風景が残っているはず・・・
そちゃんと戦って、ちゃんと生きよう。
大切なのは世界を変えることではなくて、自分が自分であり続けることなのだから。
いつものことながら、笑ったり泣いたり忙しい鴻上さんの舞台は
見終わった後の、言葉では説明できない爽快感(のようなもの)がたまらない(^^)

終演後のカーテンコールは何と4回!

1回目。
中村さんによる「シュプレヒコール!!! 本日はありがとうございました。」

2回目。
塩谷さんによる「シュプレヒコール!!! 大阪は第2の故郷です!」
芝居でスタンディングオベーションなんて初めてだった。

3回目。
「シュプレヒコール!! しばらくこの余韻にひたらせてください。」と感無量だった中村さん。

が、4回目。
「シュプレヒコール!!! 
  みなさん、いい加減帰ってください!!!!!」
  (爆笑)

そしてステージから出演者全員が「帰れ!帰れ!」コール   (大爆笑)


そんな風に客席から追い出されたら、ロビーの隅っこのほうに鴻上さんがニコニコしながら
立っていて、「あ、いるいる」と確認。毎度のことだけど、話しかけられなくてもこれで満足な私。
まるっこい字で書かれた“ごあいさつ”を読む幸せも久しぶりに味わえました。
(続きに全文を載せておくので、興味のある方は読んでみてね。)
鴻上さんの会話をちら聞きしたところ、今回の舞台はDVD化されないとのこと。
今日の日を、いつか色褪せてしまう記憶の中で大切にしておくか
いつまでも色鮮やかな記録として、2年前の初演時のDVDを買うかは悩むところだ・・・


シュプレヒコール!!! うぅぅ・・・・もちろん痛い言葉もありました! 

「だって、裏切ったんだよ?!」(未来)
「裏切ったんじゃない。自分に負けただけだ。
 何度負けたっていいんだ。最後に一度勝てば。」(山崎)

「俺達は正しく戦って、正しく負けないとダメなんだ。そしたらきっと勝つ。」(山崎)




シュプレヒコール!!! 
1969年に生まれた私が、この舞台に出会えた2009年は
私にとって革命的な年となることでしょう・・・








「ごあいさつ」
 
 この芝居の参考資料として、1969年の写真を集めたりしました。どれも色褪せて時間の流れを感じました。もうひとつの舞台、1999年の写真も集めようとして、当時、高校生だった知り合いに連絡しました。
 彼は、「じゃあ、その当時のスナップをファイルで送るよ」と返してくれました。
 僕のパソコンに届いた写真は、色鮮やかでまるで昨日撮ったように見えました。まだ時間がたってないからなんだなと無意識に思った次の瞬間、「違う。デジタルだからだ」という単純な事実に気づきました。
 アナログで、つまりフィルムで撮った写真は、時間の経過と共に劣化します。色が落ちたり。セピア色が強くなったり、輪郭がぼやけたりします。
 けれど、デジタルで撮った写真は、劣化しません。プリントアウトしたものがぼやけ始めたら、何度でも色鮮やかな写真を手に入れることができます。
 これは、ビデオテープは時間と共に劣化するけれど、DVDは時間の影響を受けない、ということに対応します。昔買った名画のビデオテープは、だんだんと古くなります。10年たってもう一度見る時、私たちは、物語と共に“時間”も同時に体験するのです。けれどDVDになった作品は、もう時間が忍び込むことはありません。
 
 人間の記憶は時間と共に劣化します。色鮮やかだった記憶は、だんだんとぼんやりとしてきます。どんなに忘れたくないと思っても、どんなにこの瞬間を永遠に覚えておきたいと思っても、人間の記憶は劣化します。
 私たちは哀しいけれど時間に振り回される存在なのです。
 色褪せていく写真も、輪郭がぼやけていくビデオテープも、そういう意味でまさに人間の記憶と対応していました。何十年前の写真は、何十年前の記憶と同じように色褪せてしまう。どんなに嫌だと思っても、そうならないようにしようと思っても、事実としてそれは起こる。
 色褪せた写真は、「過去」とは何かを具体的に人間に教えてくれました。「過去」とは、記憶の色が落ち、輪郭がぼやけるということ。
 けれど、デジタルの写真は、人間の時間を無視します。DVDに記録された風景はどんなに時間がたっても(何百年、何千年かは分りませんが、少なくとも親子二代や三代の間)人間の記憶とは無関係に鮮やかであり続けるのです。
 時間を記録する方法がデジタル写真とDVDしかないまま成長した人達は、「過去」と色褪せることは、直接結びつくのだろうかと思うのです。

 時間に振り回されることが哀しいと書きましたが、あなたもすぐに気付くように、時間と共に記憶が色褪せていくからこそ、生きていこうと思えるのです。どんなに哀しいことも、どんなに恥ずかしいことも、どんなに悔しいことも、どんなにつらいことも、時間と共に色褪せ、ぼんやりとしていくからこそ、生きていけるんだと思うのです。
 けれど、私たちはもう、自分たちの人生をアナログではなく、デジタルで記録するようになりました。私たちの過去は、ハードディスクやいろんなカードや光るディスクの中で、決して劣化することなく集められ続けています。
 時間と共に劣化しない情報に囲まれながら私たちは生きていく。どんなに時間がたっても、まるで昨日のように色鮮やかな静止画や動画が見られる環境の中で生きていく。
 それは、人間にどんな影響を与え、どんなふうに人間を変えるのだろうかと思うのです。
 
 離婚する芸能人のニュースの時に、結婚式のデジタル映像がインサートされます。
 かつてのニュースフィルムは、時間と共に劣化していましたが、今は鮮やかな映像です。離婚会見と同じくらい鮮明な数年前の映像を見ていると、その二つの出来事の間に、時間が流れたことが信じられなくなります。昨日結婚し、今日離婚したように感じるのです。
 劣化しない情報にとりかこまれて生きていくことは、たぶん、無意識に息苦しい人生を送る、ということだと思います。
 
 「十年一昔」という言葉も死語になりつつあるでしょう。鮮明な映像は十年を単純な過去にはしてくれないのです。
 僕は芝居を始めてずっと、舞台を映像に残しませんでした。「舞台は風に残された文字である」という信念で、映像に残すべきでないと思っていたのです。が、劇団の旗揚げメンバーが交通事故で亡くなって、まったく映像の記録が残ってないことに彼の御両親が悲しまれる姿を見て、考え方を変えました。
 それでも舞台をビデオに撮りながら、「やがては色褪せていくものだ」と思っていました。
 けれどある時から、「デジタル化して、映像の劣化を防ぎましょう」と言われるようになりました。記録した舞台は、永遠に残ることになったのです。
 そして、劣化しない映像を見ていると、現在の自分の身体が劣化していることを強烈に意識させられます。永遠を前にして、自分の存在が必ず劣化し、死ぬ存在だと突きつけられるのです。十代や二十代、自分の人生が永遠に続くと“誤解”できる間は、デジタルの永遠を愛せるのだと思います。そして、いつのまにか、デジタルの永遠は、自分の人生の有限を鮮明に教えてくれるようになるのです。
 今日はどうもありがとう。ごゆっくりお楽しみください。んじゃ。   鴻上尚史

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by ungalmatsu | 2009-06-28 10:30 | Liveあれこれ | Comments(0)