『小確幸』探求の日々

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毎日なんかいいこと見つけよう!大好きな「押尾コータロー」さんの話題を中心に・・・ほとんど休眠中の気まぐれブログです。悪しからず。

1Q84

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本屋に行ってみたら、
本当に入荷待ち状態なんですね。
村上春樹『1Q84』。
まるで、『ノルウェイの森』の時のようです。

読みました。

重い単行本をいつも持ち歩いて
ヒマさえあれば・・・・
で、やっと2度目読了。

読み始めたとたんに「今までと違う」と感じ
読んでいくうちに「やっぱり村上さんだ」と感じた
新しい村上ワールドでした。




村上作品は、何度も何度も本がボロボロになるくらい読み返すものと
数えるほどしか読んでいないものと、結構両極端に分かれるのだけど
『1Q84』は間違いなく前者。
だけど、明らかに後者の『ノルウェイの森』と、どこか通じるものを感じるのも確かなのです。
あくまで、私にとっては。

性描写に顔をしかめてしまうような人は、読まない方がいいという点でも同じ。
しかも、それは『ノルウェイの森』の比じゃないですから。


見かけにだまされないように。
現実というのは常にひとつきりです。


これはBOOK1の第1章で、タクシーの運転手が青豆に言った言葉。
「もちろん」と青豆は答え、「そんなの当たり前じゃないか」と思っていた自分が
物語を読みすすめていくにつれ、どこまでが現実で、どこからがそうでないのか、
何がほんとうで、何がほんとうでないのか、わからなくなってくる・・・

感想(のようなもの)をまとめようと思って、いろいろとレポート用紙に書きなぐってみたのだけど
(頭の中を整理するときには、とりあえず“書く”という作業が良い)
どうもうまくまとまりません。
天吾の父親がつぶやいたように
「説明しなくてはわからないということは、どれだけ説明してもわからないということ」です。
きっと。 
なので以下は、支離滅裂な独り言みたいなもんです。





殺し屋の青豆、替え玉出版に関わった天吾、実在とおぼしき宗教団体、
不思議な少女「ふかえり」が語った『空気さなぎ』という小説、
そこに登場するリトル・ピープル・・・
物語に飲み込まれてしまったような現実。あるいは、現実化した物語。
最初に均衡を破ったのは誰だったのだろう?
均衡そのものが善だったかも知れないのに。
けれど1Q84に引きずり込まれたからこそ、青豆と天吾は互いの存在を確信することができた。

青豆と天吾の他に、たくさんの物語が結末を語られないまま置き去りにされている。
多くの謎も謎のまま。
青豆にしたって結局・・・? 天吾は果たして・・・?
でも、ふと気付く。
村上さんはいつだって、こうやって私たちに物語をゆだねてきてくれたじゃないかと。

1984年から1Q84年へと引きずり込まれてしまったら
1Q84が現実であり、それと平行して1984がどこかにあるわけではない。
どこにいたって自分という人間はたった一人しかいなくて
1Q84の世界で死んだなら、それは完全な死であって、1984で生きているということもない。
今、私の生きているこの世界は、本当に1984の続きなのだろうか?今夜の月は本当に1つ?

ほっそりしたお腹とひきしまった筋肉。
ぱっとしない左右でいびつな乳房と、手入れの悪いサッカー場を思わせる陰毛を持つ青豆。
とある仕事を終えた後で、顔も名前も替え、別人として生きていかなければならなくなった時
青豆が一番失いたくないと思ったのは、今まで何万回も「もう少し大きければいいのに」と
不満に思っていた、その乳房だけ・・・
青豆のような性癖は持たないけれど(例え持っていたって言えないけれど(苦笑))
今までの村上作品すべてを通じて、一番惹き付けられた女性かも知れない。

人が生きていくためには、言葉ではうまく説明がつかないが意味を持つ風景が必要だ。

マイノリティとして生きる覚悟をした者は、誰かに共感を求めてまわったりも
多くを望んだりもしないのに、手にした小さなものでさえ奪われてしまうのはなぜなんだろう?

ほんとうのことというのはどういうこと。

青豆の選んだ愛に私は共感する。

大丈夫、あなたは孤独ではない。


『1Q84』
これも、自分が今どこにいるのかを問い直すための物語だと、私は思いました。
ただし、今度は前向きに。
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by ungalmatsu | 2009-06-19 01:02 | 本を読む